褒められなくても
普段あまりテレビを見ない僕がテレビを見るときにまずNHKにチャンネルを合わせるのは、真面目な番組を見て自分が偉くなった気分を味わいたいからではなく、ただ単に受信料のもとをとりたいからだと思います。
けれども、今回のように十分に価値のある情報を仕入れて自分の生活に取り入れることができれば、またしばらくテレビを見ることはなくなります。
この間、妻と一緒にNHKの番組「なぜ戦争はなくならないのか」を見ました。
イスラエル軍の侵略に苦しむパレスチナ自治区の家族の暮らしを取材していました。お父さんを捕まえたイスラエル軍に強い恨みを持つ女の子がナイフひとつでイスラエル軍に向かっていくのですが、銃で打たれて殺されてしまいます。この子はパレスチナに住む人々からは英雄のように称えられているのですが、一方でイスラエル軍の立場からはこの子はテロリストだと見られてしまう。お姉ちゃんをなくした弟はいつか自分がイスラエル軍を殺したいと願い、銃のおもちゃで無邪気に遊んでいる光景がとても悲しく映っていました。
渡辺和子さんの本を読んだときにも感じましたが、肉親を殺された人の気持ちはそれを経験していない人には理解できないくらい辛く痛く強く頭の中を占領しているのだろうと思います。
この類の報道を目にしたときにいつも無力感を感じます。
「今の自分には何もできない」
紛争をなくすために現地で活動している日本人や、紛争の現状を世界に知ってもらうために取材をしているジャーナリストの姿がまぶしく輝いているのに対して、床で寝そべってテレビを見ている自分を情けなく感じます。
けれども、僕の後ろのソファで寝そべっている妻の一言が、僕に希望を与えてくれました。
「あなたは仕事で世界中の人とコミュニケーションとってるじゃない。それが世界平和につながるんじゃない?」
「なるほど、確かにそうかもしれない」
それは正確には仕事ではなく自己研鑽のひとつとしてやっていることですが、少ないながらも確かに世界の人とコミュニケーションをとっていることを僕はすっかり忘れていました。なにもNPOなどの団体に所属して紛争地で活動しなくても、世界中に知り合いをつくり他国を理解することが、僕にできる世界平和への大きな一歩なんだと。(少し大げさかもしれませんが)
誰しもお金にならない仕事を経験したことがあると思います。
「そんなことして組織の成果にどうつながるの?」
「そのアクションを起こして得られる結果の定量性を示してほしい」
とにかく経済優先の世の中ではお金にならないものは一見無意味なものに思われてしまいます。
けれども、たとえ評価されなくても褒められなくても、それがどこかの誰かの役に立っていると感じることができれば、それはお金のための仕事よりもはるかに大きなモチベーションを与えてくれることがあるのです。
妻はいつも大切なことを僕に教えてくれます。